出雲神楽
神楽は、好きな人嫌いな人が、はっきりと分かれるもの。
嫌いな人に言わせれば、
「まだるっこくて、ちっとも面白くない」
「一度見ればもう十分」の「退屈な」
「ただの素人芸」なのである。
私はと言えば、子供の頃から、
好きな人のグループに属した。
だから嫌いグループの人の気持ちは
全く分からない。
伝承されていく民間伝承は、
鳴りモノが生演奏である。
阿波踊りも、おわら風の盆も然り、県内では、ホーランエンヤなどもそうである。
私はとくに出雲神楽が好き。
年々鮮やかに、そして洗練されてきた(ように思う)石見神楽も、民間伝承として、
それは素晴らしいものと思うが、地味なイメージのいずもの里神楽にこそ、
私は‘民俗’とか‘民芸’とか‘土着’といった風情を感じるからだ。
近年、例えばヤマタノオロチも、蛇腹を用いた胴の長ーいのが主流となったが、
昔ながらの、イモリ蛇(じゃ)またはトカゲ蛇と呼ばれる
ほぼ等身大のオロチが登場するとぞくぞくとする。
元々、神楽に登場する天つ神(あまつかみ)も地つ神(くにつかみ)も
鬼も疫病神もオロチも全て、それら架空物の象徴でありさえすればいいのだ。
が、世の移り変わりとともに、他所との情報交換も盛んになり、
また、物質的にも豊かになり、画一化が進みつつあることを危惧している。(’11.12.31)
私が子供のころの・・・・・
神楽の面
昔の出雲神楽の面の風貌といえば、
ヒーロー(天つ神)は、
のっぺり・すっきり顔
(朝鮮半島から来た人たちだろうか?)で、
ストーリーの最後に服従する
アンチヒーロー(敵役/国つ神)は、
顔も大きく、口も目も鼻も眉毛も大きく、
皺のような入れ墨のようなメイク(?)の
くっきりこってり顔(先住民?)だった。
石見神楽や広島の神楽のスサノオと、
昔の出雲神楽のスサノオを比べると
面も衣装も全く違っていた。
神楽の歴史(ストーリー性のあるものは特に)は、
古くても400年ほどであると聞いたことがある。
神楽の歴史は驚くほど古くもないが、
面の歴史はおそらく人間が道具をつかいはじめた頃まで、遡ることになるだろう。
すなわち、神話が語られるようになったら、
その神話に登場するものを象徴する表情に作られてきたはずである。
神話に描かれ、神話によって人々が抱いたイメージが面に凝縮され、
連綿と引き継がれてきたはずである。
人によって好みは違うだろうが、只々、私が子供のころに好きになった価値表現が維持され、
末永く出雲神楽によって、面とともに伝承されて行けばいいのになぁ、と思うのである。
でもそれはきっと難しいだろう。
突拍子もないと思われるだろうが、
テレビで横綱土俵入りを見ながら、しみじみとそう感じることがある。
動作の形式美の中にある意味が形骸化し、
古い時代の美意識に伝承に失敗している。
無音の柏手をうった横綱がいたが、
それは葬式の時の柏手だと注意する者さえもいない。
柏手は胸の前で打つことさえ教えていない。
大相撲の呼び出しが音痴でもお構いなしで、
相撲のご意見番づらをした評論家たちすら、何の指摘もしないのだから、
「泰平の世の流れ」と、諦めるしかないのかも知れない。(’12.2.3)
10年ほど前、・・・
日本もやっぱりアジア
大阪に住む甥っ子と
その友達Tクンを
大東町の神楽の宿に
連れて行ってやったことがある。
甥っ子は
小学1年生の時からアメリカ暮らしで、
帰国して1年ぐらい経っていた。
その友達Tクンは
アメリカで知り合った日本人で、
ご両親と三人アメリカで永住するという、
生まれも育ちもアメリカの、日系アメリカ人。
私から見れば、二人とも変な外人だった。
神楽を見るのは初めて、予備知識もなかった。
現地の駐車場に着いて、クルマのドアを開けると同時に、
神楽のお囃子が聞こえてきた。
甥っ子たちははじめて聞くサウンドに大きな衝撃を受け、笑顔をひきつらせて、
「この音楽は、なに?」
「神楽を舞う時のダンスミュージックのようなものだ」と、テキトーに教えたが、
二人の変な外人に神楽を教えるのは思ったより難しく、
とにかく観て、肌で感じるしかないと思った。
その日の出しものは、「簸の川大蛇退治」と「香具山」だった。
それぞれ開演前に、神職の方がストーリーを説明して下さったが、
ていねいな出雲弁による解説は、「変な外人」たちには一層わかるはずなかった。
「高天原におわすますたスサノオノミコトが、エズモの簸の川上に天降るますて、・・・」
というヒョウズン語もまた、私にとっては魅力的だが、
そこは接待係として、神話のこととストーリーのあらすじを、噛み砕いて話した。
それにしても、見終わった「変な外人」たちのカルチャーショックは相当なものだったらしく、
お囃子も格好も動作も「かなりクレージー(悪い意味ではなく、この場合、極めて個性的で
他に類を見ない、という意味)」と言い、
Tクンは、「日本もやっぱりアジア(の文化圏)なんだね」と発見したようだった。
後日、Tクンのおかあさんからお礼の電話があり、
「息子が大変素晴らしいものを観せていただいたようで、・・・」と長電話。
出雲神楽は、日本人より、西洋人のに、より感動を与えられるように思った。
(’12.2.8)
この辺りで、・・・
ワタクシイチオシの神楽
山の神
ワタシなりに神楽を紹介してみよう。
「山の神」
ワタシが一番好きな演目。
「香具山」と題している社中もある。
古事記にある
「天岩屋戸(あめのいわやのと)」
の話をご存じの方も多いと思う。
アマテラス神が弟のスサノオ神の
乱暴な振舞
(と、スサノオ神を信じた自分)を
赦せず、天岩屋にお隠れになった。
困ったことになった。
そこで、八百万の神々が
天の安の河原(あめのやすのかわら)に集って、
アマテラス神に出てきてもらうための策を練る場面に、
「・・・・、天の香具山の真賢木を根掘じに掘じて・・・・」
(=あめのかぐやまのまさかきをねこじにこじて)、と古事記は記す。
すなわち、香具山の繁った木を根っこごと掘り、取って帰る役目を
天の児屋の命(アメノコヤネノミコト)が任ぜられた。
神楽の方は、この辺りからはじまる。
アメノコヤネの命は、マサカキを採りに香具山に降り立ち、即座に手に入れるが、
山をつかさどる山の神・大山津見の神(オオヤマツミノカミ)に無断で遂行していた。
結界に無断侵入された大山津見の神は、侵入者を捜すがなかなか見つからない。
やっと見つけて追い詰めたが、訳を聞くと・・・。
その侵入者は、高天原(タカマノハラ)から来て、天岩屋にお隠れになったアマテラス神に
出てもらうため、マサカキが必要なのだとのこと。
大山津見の神は、天の神のなさることなら、それに従うと言い、御礼として剣を貰う。
この神楽の第一の見どころは、山の神が侵入者を捜す所作である。
両腕を額の前に構えて、俯いた顔(面)を隠すようにして、時々首を左右に振るのであるが、
そのとき長い頭毛がピンピンと動くのがなんともたまらない。
以前、ある神楽社中の人に、その所作について伺ったら、
「山の神は目が悪いので、なかなか春日大明神(アメノコヤネのこと)を見つけられないところを
表しているから、そういう気持ちで舞えと教えられた」とのことだった。
が、その後、古事記を読み直すと、アマテラス神がお隠れになったとき、
高天原とともに葦原の中つ国も闇になったと記されているので、
たぶん、香具山も真っ暗で捜しにくいことを表現しているのではないかと勝手に思っている。
かつら業に携わる者として、個人的には、山の神の髪が上質の馬のシッポの毛で
出来ていれば(おくれ毛は一部ヤクの毛を用いる)、申し分ない。
面をつけて、衣装を纏い、舞う男は、かなり人間離れした動きに見えるものである。
ときには、腹をすかしたカマキリのようで、また、蜘蛛のようで、コガネムシのようで、
あるときは、鳥の求愛ダンスにも見えてくる。
第二の見どころは、アメノコヤネの命から御礼として剣を授かった山の神が、
喜んで「剣舞(けんまい)」をするところである。
恐ろしい顔の山の神が精いっぱい喜びと誇らしさを表現する。
なんとも無邪気で微笑ましく思えてくる。
もともと、古事記は天皇がこの国を統治することの正当性を
いろいろな方向から書き記したもので、この逸話もその路線に忠実なのだが、
古事記を読むより、すんなり受け入れられる気がする。
「あのなぁ、山で暮らす人たちの大切な山の神も、
天皇の祖神(おやがみ)に服従したのだゲナァ。」
「ふぅーん」
っていうような軽いノリで、しかし心の奥にしっかり刻まれるような気がする。(5月30日)