出雲の正月  初詣

私が幼いころの情景を思い浮かべてみた

初詣のこと

出雲の人々は、元日になると、まず地元の神社(氏神様、鎮守の神様)にお参りして、三が日(さんがんち)までに、出雲大社、熊野大社、美保神社、佐太神社などのやや大きな神社にお参りしたものだった。

我が家は、元旦に家族で地元の日吉神社にお参りし、渡橋町の観音寺に年始、墓参して、3日に出雲大社に初詣した。須佐神社にもお参りした記憶があるが、それは、我が家にクルマが来てからのことだろうから、だいぶん大人(おせ)になってからのことだ。

元日に大社参拝する家庭も多かったが、我が家では、父が吉兆さんがある「3日が大社の町が、一番めでたゲになる」と言って、3日に大社に行くことが多かった。当時は、国鉄(現在のJR)出雲市駅“0番のりば”で汽車に乗って、高松、荒茅そして大社駅に着いた。大社駅前には、蕎麦屋が2軒あり(せのお、大梶)、どちらも美味しかった。昔ながらの出雲そばで、ボソボソと口の中から鼻の奥までそばの風味で満たされる、「ああ、ソバを食べている」と実感できた。両店とも今はもうない。2店に限らず、昔ながらの蕎麦屋は減ったかもしれないが、来客があれば、ソバを注文する伝統文化は、今市町より大社町に根強く残っている気がする。

大社線があったのは、いつまでのことだろう。高校生のころ大社遠足で現地解散したあと、乗ったのが最後だろうか。切符を買って、駅舎をしみじみ眺めて、「大社駅は、美しいな」と、初めて気づいたような記憶がある。

大社駅がある場所は、「北荒木」で、そこから出雲大社の勢溜(せいだまり)迄、距離にして1㎞以上ある。子供の足で、20分かかる。余談だが、そもそも、鉄道ができる時、「黒けむりを吐いて走るようなモンが、神域に入ることは、相ならん」ということで、線路が北荒木どまりになったと、父から聞いた。

その長い道中には、喫茶店や食堂が点在し、「早くお参りをして、帰りに寄ろう」という両親の言葉を信じて、勢溜を越えて一番奥の素鵞社(そがのやしろ)まで、1.5㎞以上あると思われる道のりをよく歩いたものだった。

行き帰りにすれ違う人の中に、知った人がいないか探しながら歩いて、ちっとも退屈しなかった。当時は、よく知り合いに出会った。

私の妻は、平田の漁村で育ったが、大晦日に、初詣の準備をして、年があらたまると、準備した「トビ」というコメの入った「おひねり」を持って、地元の神社に参拝し、「トビ」をお納めして帰ったそうだ。そして、三が日のうちに、バス、一畑電車を乗り継いで、出雲大社にお参りするのだった。

母は、雲南地方出身で、初詣は、木次神社にお参りした。戦後間もないころの大社参拝は、、旧国鉄木次線の木次駅で汽車に乗り、宍道駅で山陰本線に乗り換えて、出雲市駅で大社線に乗り換えて、終点出雲大社駅に到る。修学旅行で出雲大社に行ったというから、けっこうな長旅だったため、正月に大社参拝することは殆どなかったらしい。

やがて、各家庭が自動車を持つようになると、出雲大社の外苑にも大きな駐車場ができた。我が家も、クルマで参拝することが多くなり、大社の駅前から、勢溜に続く門前町をぶらぶら歩くことは少なくなった。すれ違う人の中に知った顔を見つける楽しみは減ったが、その代わりに、雲南地方や、松江方面の知人が、大社参拝帰りに我が家に立ち寄られることが増えた。出雲大社にクルマで参拝する人が増えるとともに、門前町の旅館や食堂、土産物屋から客足が遠のくのを、どうすることもなく見ていた。その長い低迷期が過ぎ、パワースポットブーム、大社の遷宮によって、以前に増して賑わうようになった門前町を見るたびに、喜びと不思議な思いを抱く。ただ、大鳥居から旧国鉄大社駅にかけては、まだ、人通りが少ない。いつの日か、町が賑わいを取り戻すことを期待し、ときどき遠い昔を思い出してみる。

令和8年1月

 

 

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