四里四方(出雲弁の思い出 その5)

~カーニィ~

高校生活も、今はずいぶん様子が違ってきていて、

ワタシや、ワタシの友人も今なら、

夕焼け

出雲は空が大きくて、どこでも夕空が綺麗

受け入れられなかった雰囲気である。

 私たちが通っていた当時、

世界史が好きだった先輩は、

世界史のテストのときだけ、

氏名欄に「李 雲南」と署名していた。

先生も「リ ウンナン」と呼んで

答案用紙を返していた。

「曽 捻体」と名乗った友人も

世界史の先生に受け入れられたが、

「眠たい(ネンタイ)」という心の叫びまでは

気づいてもらえなかった。

 大阪に住む甥っ子が幼稚園に通う頃、

「出雲弁はネコみたい」と言ったことがある。

言葉の最後に「ニャーって言うで」とのこと。

どうやら「そげだねぇ」が、訛って「そげだニャー」と聞こえるらしい。

ワレワレはネコ族だと思われていたわけである。

 その甥っ子は、中学生の夏休み、出雲の我が家に到着するなり、

母が、「(迎えに)出らかと思っとったにカーニィ」と言ったのに反応して、

「出たっ『カーニー』や!」とよろこんでいた。

「出雲弁の『カーニー』好きだ」と言った。

外国の人の名前にありそうだというのである。

イワン・ダッタニカーニ  (言わなかったったのに) 

シラン・フリオ・シトッタニカーニ  (知らぬふりをしていたのに)

モークラン・ナッタニカーニ  (もう暗くなったのに)

モーハイ・バンダ二カーニ  (もう晩なのに)

イエバ・スー二カーニ  (言えばするのに)

イリャ・モッテクー二カーニ  (要れば、持って行くのに)

モーラ・クッタ二カーニ  (もう俺は食べたのに)

・・・・・・・・・・・・・・・、きりがないので、またの機会に、・・・。

その夏、スーパーで、おじいさんがアジウリを手にして発した言葉に

サッカー少年だった甥っ子は感動した。

      「アズーリ・マーケンナー」  

「はい」と、おばあさんが返事をしていた。

おじいさんが言いたかったのは、勿論、アジウリが好きだから、

アジウリ貰うけんナァ」・・・買うよ、カゴに入れるよ、である。(9月7日)

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