節分の夜、「恵方巻」とやらを食べるようになったのは、
いつの頃からだろうか。
以前、我が家では、節分の食卓には、
ちらし寿司だったり、巻き寿司が並んだ。
ただ、巻き寿司は普通に切ってあった。
おいしそうなイワシがあれば、塩焼きもあったが、
必ずこれ、という決まったものはなかった。
豆だけは決まりがあり、黒豆を炒ったもので、
それを祖父母の代から使い続ける一合マスに入れて
豆まきをするのが、今でも変わらぬ「お決まり」である。
子供のころ(昭和40年代)には、
夜になると、「鬼は外、福は内」
の大きな声が聞こえてきたものだった。
近年、私は、玄関の扉を開け、
周りに人がいないことを確認し、
やや遠慮気味に、
「鬼は外、鬼は外、鬼は外」
「福は内、福は内、福は内」と豆を撒く。
父の仕事が済んで、豆を撒いてもらったら、
父と2人で、八雲神社に参り、拝んで、
「茅の輪」を首に掛けてもらって帰ったものだった。
行き帰りにすれ違う人は、寒風が吹けば、
「節分荒れですね」と言い、
父は、「あぁ、荒れましたね」と応えた。
年によっては、雪が積もることもあった。
父は下駄が好きで、そんなときも、
八雲さんへ行くときは、下駄を履いていった。
雪が積もるような時、風はわりと穏やかであったが、
すれ違う人は、「節分荒れですね」と言い、
父は「大荒れですね」と応じた。
令和8年1月
かつらのフセ






