華蔵寺
「けぞうじ」と読む。
地元の人が、どうかは知らないが、
我々の周りでは、「枕木山(まくらぎさん)」で通っている。
少し長くなるが、この枕木山に初めて行った時の話をする。
その年の5月、私は中学の時からの親友Bをすい臓がんで喪った。
出雲では、仏教の場合、四十九日の法要が、喪が明ける目安になる。
7月になった。
親友Bの喪が明けたので、関西の大学時代に知り合った親友Fに会いに、松江に行った。
その当時、Fは、長らく営んでいたコンビニをやめ、
自宅に店を構えて、ご近所に喜んでいただける商売をしていた。
私の顔を見るなり、「蕎麦を食いに行こう」と言って、
私の車に乗り込んできた。
「店(番)は、姉に頼んである」と言うので、
私は、車から降りて、「お願いします」とお姉さんに挨拶してから、発車した。
行先は、枕木山にある食堂だ、とのこと。
道案内されるままに、車を走らせた。
「あの鉄塔の辺りに食堂があってなぁ。ワシは、そこのソバが、松江で一番好きだ。」「その店は、前のお隣の県知事さんも常連で、・・・」「景色も良いし、空気もうまい」「オヤジさんが(ソバを)打っとぉなったけど、最近は、オバサンが打ちなるみたいだ・・・」などと言うのを、聞いている間に、食堂の前に着いたが、残念ながら店は準備中の看板が掛かっていた。
「あら、今日は休みかぁ。せっかくだけん、寺に上がってみるか。」と言うことになり、さらに車を走らせると、程なく、山門に至った。
寺にお参りするというよりも、植栽豊かな場所を散策に訪れたようだった。
展望台のような場所からは、大山を遠くに望み、眼下に中海が見える。
中海に映る大山は、「風がなければもっときれいに映るのでしょうね。」と、写真を撮っている人に声をかけて、踵を返すと、急に白い大きな塊が現れた。
カメラを片付け始めた人に、「こっち、すごいですよぉ。」と声をかけると、その人も「こんなのは初めて見るなぁ。」と言って、カメラを持って、近づいてきた。
私の友人Fと3人で、見ながら、推論を交わした末に、
「日本海から湿った空気が登ってきて、尾根を越えたと同時に冷やされて、白くなり、滝のように落ちるのだろう。」と結論付けた。
たしかに、ところどころ、日本海が見える場所があった。
「せっかく来たのだから、石仏も見て行くか。」とFが言う。
「日本有数の大きさの自然石に彫った不動明王像だそうだぞ。」
「なんだ、日本一じゃないのか。ハハハ」と言いながら、そちらへ向かった。
自然石に彫られた不動明王像は、確かに大きいものだった。その迫力に気を取られながら、私は、他のことを考えていた。実は、5月に親友Bが亡くなってから、四十九日の間、私は、我が家の菩提寺に毎朝お参りしていたのだが、その寺にある不動明王像のお顔が、親友Bにそっくりで、ひそかに、「医者だったBは、きっと不動明王だったんだ」と思うようになっていたので、大きな石像が、不動明王であることを知った時から、「Bが会いたがっているんだ」と考えていたのである。
遅いアジサイが咲き誇るのを眺めながら、ここに連れてきてくれた親友Fに、「実は、中学の時からの親友が死んでなぁ、・・・そいつが不動明王になったと思っててなぁ、・・・。ここに連れてきてくれて、ありがとう」と礼を言うと、「蕎麦屋が休みで良かったなぁ。」と、彼は笑った。
駐車場で、車に乗って、帰る途中。休んでいたはずの食堂が、店を開けていた。Fが「あら、開けてるわ」と言うので、車を停めた。一緒に降りると、店の中からオバサンが出てきた。「オバサン、そばは食べられるかなぁ」とFが聞くと、「あぁ、今、湯が沸くところだから、食べられるよぉ」と、オバサン。
聞くところによると、ご主人が入院中で、オバサンは午前中に病院に行って、着替えを持って行って、洗濯物を持って帰ったのだそうだった。
偶然が重なっていた。あの時、食堂が閉まっていたから、尾根を越える白い滝のようなものを見たり、不動明王にも会えた。友人が松江で一番おいしいというお蕎麦は、本当に美味しかった。
帰りの車中、話は尽きなかったが、家まで送って、「今日は、ありがとう。少し気が晴れた。またな。」と言ってFと別れた。
その一か月余りのち、
Fが出雲に来て、私に放った言葉に、耳を疑った。
「ワシ、すい臓がんだそうだ」少し笑いながらいう彼の言葉に対して、
(ウソだろう)とかいうのではなく、
(コイツ、何を言っているんだ)とか、(それは、どういう意味)という感覚で、受け入れるのに時を要した。
次の年の7月10日、
今度は、その大学時代からの友人Fを喪ってしまった。
一緒に枕木山に行った日以来、
松江で蕎麦は食べていない。
あれから14年が過ぎた。
令和8年5月
かつらのフセ





