令和8年6月23日に大規模火災があった。
「中町の米山げた屋のあたりが燃えている」
と連絡があり、
夕食を中断して、自宅から駅前にある店に向かった。
「米山げた屋」は、今、飲食店になっていた。
店は、火災現場からは200mほど離れており、
当分だいじょうぶと思い、
その足で、火災現場から50m程のところで一人暮らしする、
Iさんの家に向かった。
Iさんは、ご近所のみなさんが声をかけに来ていて、
私が心配する必要ないぐらいだったが、
ただ、「火事」は心配である。
昭和55年の「代官町の火事」が深層心理に残っているのも大きかった。
その当時からここで暮らすものにとって、
火災の時怖いものと言えば、
「火の粉」である。
「代官町の火事」は、
銭湯の煙突の亀裂から飛んだ火の粉が原因だったからである。
だから、「中町の火事」は、東へと延焼しても、
東風に吹かれて西に向かう煙の中にある
火の粉の行方を、目で追いながら、
「風向きが変わったら、気を付けないとねぇ」
「上昇気流が強くなったかも」
「煙が赤味を増したね」などと、
飛び火を警戒していた。
不幸中に幸いで、物置1軒の屋根が焼けただけで、
飛び火による被害はなかった。
新しいビルの屋上に煙を見つけたときは、焦ったが、
人の姿も見えて、どうやら屋上でバーベキューでもしているらしかった。
0時過ぎ、
かなり東に火勢が移動したように見え、
消防士さんに、
「いま、横町のロータリー、いいじま呉服さん辺りまで火が来ましたか。」
と聞くと、
「30分ほどで、全焼を覚悟しました。」
と答えられた。
私も、何度か、近くで火災を見ているので、
「火の勢いはねぇ、…。」と言うしかなかった。
1時ごろ、煙の中に火の粉が少なくなり、
火勢も落ちて、上昇気流も少し弱まってきたような気がした。
2時、煙の量もやや少なくなり、色も白くなってきたので、
自宅に帰ったが、よく眠られなかった。
前夜、10時頃だったか、店は停電していた。
放水による事故を避けるための計画停電だったのかもしれない。
翌日の営業が心配だったが、
翌朝7時に通電した。
🌕 夜の災害では、
停電になる前に、避難準備をするのが良いと、
このたびの火災で学んだ。
💡 災害の現場には、
何度も足を運ぶべきだと思う。
何か自分なりに考えつくものである。
🐕 監視の目にもなる。
かつらのフセ





